日本が世界に誇るファッションブランドISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)
創業者である三宅一生氏、日本を代表するファションデザイナーとして世界で知られており
メリルストリープ、スティーブジョブズ、レディーガガ、ビートたけしらの世界的な著名人たちも愛用
代表作でありコンパクトに収納できて着る人の体型を選ばないPLEATS PLEASE(プリーツプリーズ)、
一世を風靡したバッグBAO BAO(バオバオ)、有名人にも愛用者が多い香水ロードゥ イッセイ フローラルなどが知られる。
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ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)の魅力を歴史から見る
ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)とは
三宅一生 幼少期
創業者である三宅一生氏、1938年(昭和13年)に広島県広島市に生まれました。
7歳の時に戦争を体験し、母親は3年も経たないうちに亡くなったそうです。
幼少期の頃、広島平和記念公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋にある日系アメリカ人の
彫刻家イサムノグチ氏が手掛けたオブジェは、デザインが人を励ます力を秘めていることを初めて教えてくれたモノであり、
その後の人生に影響を与えたそう。自身の被曝経験もあり
「破壊されてしまうものではなく、創造的で美しさや喜びをもたらすもの」を創造することを将来の目標としたそう。
三宅一生 青年期
地元広島の高校を卒業後に上京、多摩美術大学図案科に入学、新人デザイナーの登竜門とされ、
コシノジュンコ・高田賢三・山本寛斎・山本耀司など後に世界的有名デザイナーを輩出したファッションコンテスト
「装苑賞」にて、在学中に2年連続で現在の佳作に位置づけられる賞を受賞。
1960年に日本にて世界27カ国・二百数十名のデザイナーや建築家を集めて開催された
「世界デザイン会議」において「衣服デザインの分野が含まれていないのはなぜか」と
事務局宛に意見したことはエピソードとして有名。
東京オリンピックのポスターなどを手掛けたアートディレクター村越襄から、
東洋レーヨン(現在の東レ)の1963年版カレンダー用の衣装制作のオファーを受けたことが、デザイナーとして自身初の仕事となる。
大学卒業後の1963年、第一回コレクション「布と石の詩」を発表するもうまく軌道に乗れず、
1965年フランスのパリに渡り、数多くの著名なデザイナーを輩出した名門学校でファッションやデザインを学び、
フランスのラグジュアリーブランドGuy Laroche(ギラロッシュ)やGivenchy(ジバンシィ)といったメゾンで修行を積む。
1968年にフランスで起こった学生や労働者などによる「自由・平等・性の解放」を掲げた社会運動「五月危機(五月革命)」を体験し、
これを転機に「かぎられた人だけでなく、より多くの人のために服を作りたい」と思うようになり、
1969年アメリカ・ニューヨークに渡り既製服の勉強を始める。
時はまさに、パリ・モード界においてオートクチュール(オーダメードの高級服飾を扱う店および製品)から、
プレタポルテ(高級既製服)の転換期でもあった。
それは三宅一生にとっても転換期であり、身体に合わせ多くの生地を使って作る服よりも、
生地を可能な限り捨てずに身体とそれをおおう「一枚の布」ように、またそこに生まれる「ゆとり」や「間」の関係を追求し、
西洋・東洋の枠を外した多くの人が着られる服を目指すことになる。
服の素材となる布の1本の糸から産地を訪ね研究し、多くの人々の協力を得て伝統技法や最先端の合繊技術を学び、
オリジナルの素材を開発します。そして、ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)のブランド理念「一枚の布」が確立されるのです。
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